みなさん、おはこんばんちは。
先日買い物にでかけた際に青空を眺めつつ歩いていたら、左足が穴ぼこにハマって捻挫したさぶらでございます。
まだちょっと痛い。
今回のテーマは、「自己肯定感」です。
最近、自己肯定感ってよく聞きますけど、はっきりと意味を説明できる人は少ないんじゃないでしょうか。
さぶらも、ちょっと前まではそうでした。
「自尊心」とか「プライド」とか、近い感じの言葉なのはわかるけど、何が違うのかまではよくわからない。
んで、調べてもすぐ忘れる。
実は自己肯定感という言葉(概念)は、比較的最近に作られた新しいもので、専門家の間でも解釈が微妙に違うというやっかいな側面があります。
これじゃあ、私たちがピンとこないのも無理ありません。
というわけで、今回は微妙にわかりにくい自己肯定感の意味、影響、似た言葉との違いについて、ハッキリさせていきます。
ゆっくり読んでいってね!
自己肯定感とは何ぞや?
最初にも少し触れたように、自己肯定感という言葉は最近生まれたもので、専門家によって意味合いが微妙に異なっています。
自己肯定感が提唱されてから年月が経ち人々に広まり多様な解釈がなされるようになった。「自己効力感」「自己有用感」「自己効用感」などが「自己肯定感」として語られる事があるが、このような語られ方をするだけでは不十分だと考える、と高垣は述べている
「自己肯定感」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2020年4月20日 (月) 03:18 UTC、URL:https://ja.wikipedia.org/
そこでこの記事では、自己肯定感の提唱者である高垣忠一郎氏の定義を正として、説明をしていくことにします。
氏の定義は、以下の通りです。
この人たちの表現するこういう「感じ」を言葉にすれば「自分が自分であって大丈夫」という安心感を欠く世界のように筆者には感じられ,その「自分が自分であって大丈夫」という感覚のことを筆者は「自己肯定感」と呼んできたのである。
立命館産業社会論集(第45巻 第1号)高垣忠一郎『〔退職記念最終講義〕私の倫理臨床実践と「自己肯定感」』参照:2020年04月28日
ぼくは猫もどきで大丈夫!
自己肯定感とは(簡単に)
自分自身で自分を受け入れ、尊重する感覚のことを自己肯定感といいます。
自己肯定感が高まると、自然に自分を大切に考え、扱うことができるようになります。
これは決して「自分勝手になれ!」とか「自分を甘やかせ!」という意味ではないので注意してください(違いについてはこっちで説明します)。
「良い自分」も「悪い自分」も受け入れられるか
自己肯定感は、自分という存在をあるがまま受け入れる感覚です。
したがって「良い自分」だけでなく、「悪い自分」も含めて受け入れられるか、というのがポイントになります。
極端な例になりますが、重い(メランコリー型の)うつ病になってしまっていたり、引きこもってしまっていたりするような人の多くは、「悪い自分」を受け入れることができず、自分を責め続けてしまいます。
(メランコリー型うつ病については、ちょー簡単にですが↓で説明しています)
またそこまで極端ではなかったとしても、「悪い自分」を受け入れることができないために生きづらさを感じている人は、決して少なくないとさぶらは思っています。
「条件付きの肯定」では自己肯定感が育たない
比較的見られる肯定の形として、「条件付きの肯定」というものがあります。
たとえば、こんな感じです。
これらはいずれも「えらい!」と褒めてはいますが、「がんばったから」「仕事ができたから」「美人でスタイルがいいから」という条件が付いています。
うがった見方をすれば、「そうでなければ、えらくない」という意味にも取れます。
太ったらもうダメなんか?
つまりこれら条件付きの肯定は、「良い部分」だけを肯定しているのと、意味合い的にはそう変わらないのです。
場合によっては自己否定の材料になることもありますので、注意してください。
自己肯定感の影響
条件を付けず、ありのままの自分を受け入れ、肯定する感覚こそが自己肯定感と呼ばれるものです。
しかしそんな感覚を持ち合わせたところで、一体何が変わるというのでしょう?
ここからは、自己肯定感が高い人、低い人に見られる特徴を例に、自己肯定感の影響について紹介します。
自己肯定感の高低で表れる特徴
自己肯定感が高い人は、基本的に精神が安定しています。
自分自身で自分を受け入れられているため、取り立てて他人の評価を必要としていません。
かといって他人を無視するわけではなく、自分と同じように、可能な限り尊重しようという気持ちが強くなります。
また、他人の批判に振り回されないため失敗を恐れず、物事に積極的に取り組むことができます。
過度に悲観することもなく、過度に楽観することもありません。
仮に失敗したとしても、「なぜ失敗したのか、どこが良くてどこが悪かったのか」というように、失敗に対して現実的な評価(自分に対する適切なフィードバック)ができます。
その結果、効果的な改善策を練り出し、取り組むことができるのです。
対して自己肯定感が低い人は、おおむね真逆です。
表にまとめてみましょう。
自己肯定感が高い | 自己肯定感が低い | |
精神的に… | 安定しやすい | 不安定になりやすい |
自分に… | 肯定的 | 否定的 |
他人の評価に… | 振り回されにくい | 振り回されやすい |
他人のことを… | 尊重しやすい | 尊重しにくい |
新しいことに… | 積極的 | 消極的 |
失敗を… | 過度に恐れない | 過度に恐れる |
捉え方が… | 現実的 | 主観的(極端) |
自己肯定感は人生の質に影響する
表にまとめた特徴は、単にさぶらがパっと思いついたものです。
別にこれらが代表的な特徴というわけではありません。
単なる思いつきです。
とは言うものの、どれも自分の人生に深く関わってきそうな要素に見えませんか?
わかりやすく、例を使いましょう。
しばらく前に、「草食系男子」というのが流行りました。
恋愛にガツガツせず、積極的にならない(なれない)男性のことです。
けれどもしかしたら、単に自己肯定感が低いだけの可能性はないでしょうか?
……という前提でさっきの表を、肉食系男子と(自己肯定感低い系の)草食系男子に置き換えてみましょう。
(草食系の人すべてがそう、という話ではありません。あくまでも「そういうタイプもきっといるよね」という意味です)
肉食系男子 | (自己肯定感が低い) 草食系男子 | |
女性に対して… | 積極的 | 消極的 |
女性からの評価に… | 鈍感 | 敏感 |
フラれることを… | 恐れない | 恐れる |
新しい恋愛に… | 積極的 | 消極的 |
だいぶわかりやすいんじゃないでしょうか?
念のため、解説しますね。
(自己肯定感が低い)草食系男子はすべからく女性に対して消極的で、相手に好意を抱いていてもアプローチしません。
それは女性からの自分への評価に敏感すぎるが故に、フラれること(あるいは、フラれた結果として自分が傷付くこと)を恐れるからです。
「フラれる=最低評価」みたいに考える。
そのため、後からきた肉食系にかっさらわれることもしばしば。
仮にそうなって強いショックを受けてしまうと、同じことが起こることを恐れ、恋愛に対して更に消極的になります。
このような理由から(自己肯定感が低い)草食系は、人生における恋愛満足度が低い状態になりやすくなります。
また、恋愛に対して独りよがりな冷めた目を持ってしまう可能性や、天使のような女性が表れて積極的にアプローチしてくれる奇跡を延々と待ち続けてしまう可能性も高くなりやすいのです。
(繰り返しますが、草食系の人すべてがそうという意味ではありません)
自分のどこを肯定すればいいの?
さんざん草食系をディスってしまいましたが、実はさぶらも草食系だったことを告白しておきます。
多少は変化してると思いたい。
さて、じゃあ「まさに自分は自己肯定感が低い!けど自分には肯定できる部分がない!どうすればいいんだ!」という人もいるかと思いますので、そこらへんの話にもちょっとだけ踏み込んでみることにします。
ぶっちゃけていうと、自己肯定感が皆無なのに自己肯定しろというのは、まさしく無理ゲー(無茶な話)です。
自分に長所がないという感覚が極めて主観的だったとしても、長年かけて作り上げてきた価値観であることには変わりありません。
だからこそ当の本人にとって、それは「揺るぎのない事実」と同じくらいに確固たる思いとなっています。
かくいうさぶらも、かつては自己肯定感がありませんでした。
自己否定的な見方は子供の頃からの当たり前で、それを無視していきなり自己肯定的になろうとしても、1日2日で覆せるような簡単な話ではないのです。
まずはこの事実を受け入れましょう。
自分を客観的に見る
石のように凝り固まった自己否定の感覚を変えるためには、入念な準備が必要です。
さぶらの場合、それは「できる限り自分を客観的に見る」ということでした。
自分の悪い面が気になるから、悪い面しか目に入らないのです。
さぶらの場合は完璧主義も併発していたので、更にやっかいでした。
良い面を一切無視するだけでは飽き足らず、まるで重箱の隅を突くように、ほんの小さなほころびを見つけては「これが自分が役立たずである証拠だ!」と考えてばかりいたのです。
(今から思うとほんとに不思議なのですが、なぜかほころびを見つけるたびに「やっぱりね!」みたいな、鬼の首を取ったような感覚になっていました)
我が深淵に秘められし、闇の力を見出した…!
(自分の欠点を見つけた…!)
これは突き詰めて考えると、自分自身と向き合えていなかった、という意味でもあります。
どゆこと?
自分と向き合わなければ自分を受け入れられない
例を使って考えてみましょう。
真っ白い紙があるとします。
この紙の真ん中には、虫眼鏡で見ないとわからないくらいの黒い点があります。
「この紙の色は何?」と聞かれた場合、大半の人は「白」と答えるでしょう。
しかし当時のさぶらは即答せず、わざわざ虫眼鏡を使って粗を探します。
そしてわずかな黒い点を発見すると、勝ち誇ったように「黒!」と叫ぶわけです。
果たしてこれは、紙の色の評価方法として妥当といえるのでしょうか?
自分の欠点ばかり見るというのは、「木を見て森を見ず」ということに他なりません。
故に「自分と向き合っていない」とも言い換えられるのです。
根底にあるのは「認知の歪み」かも?
そりゃあ誰だって、自分が本当に「生ゴミのような存在」であるのなら、目を背けたくもなるでしょう。
理想とかけ離れた自分となんて、向き合いたいとは思えません。
なかったことにしたいくらいです。
しかしさぶらの場合、それは単なる思い込みでしかありませんでした。
確かに、理想とはかけ離れています。
でもその理想も、現実とかけ離れていたのです。
サンマは鯛にはなれません。
にもかかわらず、サンマが鯛になろうとしているのなら、サンマは死ぬまで理想とかけ離れ続けることになります。
猫もどきは猫になれない。
非現実的な夢や理想は、自分を苦しめる毒になるかもしれないのです。
何が違う?「自己肯定感」に似ている言葉
世の中には「自尊心」とか「自信」とか、自己肯定感と似ているような似ていないような言葉があります。
そういうような言葉と自己肯定感は、一体何が違うのでしょう?
いくつかピックアップして、さぶらなりに違いを説明したいと思います。
「自尊心(自尊感情)」との違い
自己肯定感は、無条件で自分を受け入れるセルフ女神のような感覚を指す言葉ですが、自尊心はもうちょっと概念的です。
言い方を変えると、自己肯定感が何かに入れて持ち歩く小物だとすると、自尊心は入れ物になります。
自尊心という大きな括りの中に、自己肯定感や自己効力感、自信、プライドなど、さまざまな要素があると考えてください。
絵でせつめいして。
わかりました。
厳密にはもう少し色々とあるとは思いますが、さぶらが分かるのはこんな感じです。
「プライド」との違い
プライドといっても意味合いはさまざまですが、ここでは他人と比較した上で生まれる、優劣を基準とした感覚(ネガティブな意味でのプライド)について扱います。
程々に持っている分には良い効果もありますが、プライドが高くなりすぎると以下のような特徴が目立ってきます。
こういった特徴を生み出すプライドは、他人や基準との比較によって生まれるため、自己肯定感は関係しません。
したがって、チョモランマのように高いプライドを持っている割には自己肯定感が低いというケースも、それなりに見受けられます。
「自信」との違い
自信とは、自分の能力や技術、スキルなどに対する信頼感です。
それまでの人生で身につけた技術、経験、知識などの評価によって上下します。
苦労を経て何かをやり遂げた経験が多い人は
「アレができたんだから、これだってできるだろう」
「アレに比べれば、こんなのは全然余裕だ」
「アレとソレの経験を利用すれば、今回も大丈夫そうだ」
といった推測を立てやすくなります。
その結果として、自信が生まれるのです。
「自分勝手」との違い
自分勝手とは、他人を無視して自分に都合良く考えたり、行動したりすることです。
対して自己肯定感が高い人は、ここらへんでもちょっと触れたように、自分を大切にすると同時に他人も同じように大切にする傾向があります。
こういった自己肯定感の特徴は、自分勝手とは真逆のものです。
自己肯定感が高い人は、自分を満たすために自分の意思や意見を伝え、主張しますが、それを無理やり押し通すことはしません。
なぜなら相手も自分と同じように、尊重すべき意見を持っていると考えるからです。
「自己効力感」との違い
言葉の雰囲気や字面がとっても似ている自己効力感ですが、自己肯定感が「自分の存在」を受け入れる感情であるのに対し、自己効力感は「物事をうまく達成できる力」に対する信頼感のようなもので、より「自信」に近い感覚です。
たとえば、まったく未知の領域の仕事を手掛けることになったとき、「やればできる」「準備すればたぶんできる」と思えるのなら、あなたの自己効力感は高いかもしれません。
結局のところ自己肯定感って?(まとめ)
最後に、自己肯定感についてまとめてみます。
たとえ今は自己肯定感が低い状態だったとしても、考え方や捉え方を変えることで高くすることができます。
生まれ持った才能や、1度固定したら変動しないようなパラメータではないので、安心してください(ただし、それなりの工夫や努力が必要です)。
自己肯定感の具体的な上げ方については、今度別にまとめるつもりなので、そっちを参考にしてもらえればと思います。
(ちなみに、いつ書くかはわかりません)
気長に待ってね。
ーおしまいー