みなさん、おはこんばんちは。
緊急事態宣言が発出されても、ぶっちゃけ何一つ生活が変化しないさぶらでございます。
おうち大好きな引きこもりじゃけん。
さて、今回のテーマは「やらない後悔、がヤバい理由」でございます。
みなさん、「あー、あのときアレやってればよかったなあ」なんて思うことありませんか?
ぼくは昔、毎日のように後悔していました。
今は諦められたけどね!
誰しもひとつくらいは持ってそうな「やらなかった後悔」。
実はこの手の後悔、一生続く可能性があります。
更にあんまりたくさん持ち過ぎると、ぼくのようにうつ病になってしまう可能性も……!
もちろん個人差はあるけども。
というわけで、この記事では次のようなことを説明したいと思います。
危険性だけを訴えても困ってしまうと思うので、少しだけ「後悔を避けるコツ」についてもちょっとだけ触れてみます。
ぜひこの記事を読んで「やらない後悔」の危険性を確認し、後悔の少ない人生を目指してみてください!
ゆっくり読んでいってね!
「やらない後悔」がヤバい理由
まずはタイトル詐欺にならないよう、「やらない後悔」がヤバい理由から確認してみましょう。
本当に単純で当たり前の話なのですが、「やってみないと結果がわからないから」というのが理由になります。
なんでそれがヤバいのん?
そうですね。
なんでそれがヤバいのか、ちょっと不思議に思われるかもしれません。
というわけで、ここからは「なぜヤバいのか?」について、できるだけわかりやすく解説をしていきたいと思います。
「やらない後悔」は自己肯定感の低下に繋がる
「やらない後悔」というものは、誰しもが持っているもの。
ひとつふたつくらいならヤバいことはなく、大して悪さをするものでもありません。
しかし過去のぼくのように、覚えてられないくらいに「やらない後悔」を溜め込んでしまうと、人生にかなりの悪影響が出てきます。
自己肯定感が目に見えて下がるんや。
自己肯定感というのは、人間が前向きに生きるために必要不可欠な要素です。
人生がつらい、生きるのがつらいという人の多くは、自己肯定感も相応に低下していることでしょう。
「このとき行動していれば成功していたかもしれないのに、実際は行動せず現状を招いた」
というように考えてしまうと、自責や自己評価の低下が発生します。
そして自己評価が下がることで、自分を肯定的に捉えることができなくなる、というわけです。
自己肯定感が下がると幸福度や健康度も低下し、人生の質(QOL、Quality of Life)が下がってしまいます。
そして、それがまた自己肯定感を下げる要因となり……。
まさに負のスパイラルやな。
結果がわからない=成功していたかもしれない
自分の人生を大きく左右するかもしれなかった挑戦を避けてしまった場合、後々になってから後悔する可能性があります。
たとえば、ぼくの後悔を例にしてみましょう。
あのとき勇気を出して告白していれば、付き合えていたかもしれない。
あのとき面倒くさがらずに将来を考え、ちゃんと行動していれば、今頃はもっと良い状況になっていたかもしれない。
あのとき「自分を追い詰める」などという意味不明な理由で貯金を使いまくらなければ、今頃は有意義に活用できていたかもしれない……。
これらの後悔は、すべて済んだことです。
そのため「やっていたら成功していたかもしれない」という可能性はゼロになり得ません。
(挑戦すらしていないので、結果がない)
だからこそ何度でも、いつまでも後悔し続けることができますし、後悔の度合いによっては死ぬまで続くことになるのです。
再チャレンジできないなら、チャレンジした場合の結果は二度と確認できない。
変化を恐れる=怖くてできない
後悔するくらいなら、思い切ってやればいいじゃん!
……と考えるのは簡単ですが、実際にやるのは難しいもの。
なぜ難しいのかというと、人間は変化を嫌う生き物だからです。
現状維持バイアスなんてものがあったりする。
たとえ有益であったとしても、知らないものや経験したことのないものを受け入れることに心理的な抵抗が生じ、現在の状況に固執してしまう傾向(バイアス)。
UX TIMES「現状維持バイアス」(2021年01月06日参照)
人が意思決定をするときに強い影響力を持つ心理傾向であり、現状から未知の状態に変化することを「安定した現状が無くなってしまう損失」と認識する心理が影響している。
小さな変化なら、きっと躊躇なく実行できるでしょう。
散歩コースを少しだけ変える、とかな!
しかし退職や転職、結婚、離婚、遠方への引っ越しなど、その後の生活や環境に大きな影響が出るものについては、それなりの覚悟が必要です。
ましてや、そうすることで状況が悪化してしまう可能性があるなら、怖くなってしまうのも当然でしょう。
禍々しき地獄の門が開かれていること、我が奴隷に知らせるべきか…。
(彼氏のチャックが開いているんですが、反応が怖くて言うべきか悩みます)
それは怖がらずに教えてあげて。
しかし怖いからと怯えている限りは、何もできません。
そういった変化への挑戦から遠ざかっていると、だんだんと小さな変化にも恐怖心を抱くようになってしまいます。
最悪は過去のぼくのように、恐怖心にがんじがらめにされてしまい、文字通り「何一つ」変化させることができなくなってしまう。
これこそが、「やらない後悔」のリスクです。
「自分は自分を変えられる」という実感が失われ、人生に希望が持てなくなる。
闇の牢獄に囚われたまま足掻きもせず、ただ死を待つだけの哀れな子羊だ。
「やらない後悔」が一生続く理由
さて、そんなやらない後悔。
やった後悔は短期間で整理できるのに比べ、やらない後悔は一生続くと言われています。
なぜ一生続くなんて言われているのでしょう?
ビビらせようとしてるだけちゃうんか?
確かに「一生続く」は言いすぎかもしれません。
けれど比較的忘れにくく、いつまでも残りやすい後悔であることは間違いないのです。
なぜそうなるのか?
その理由を、これから説明していきます。
結果がわからないから「IF」が残る
最近はそうでもないのですが。
若い頃のぼくは歴史小説が好きで、ちょこちょこ読んでいたりしました。
その中には、いわゆる「歴史のIF」を扱ったものもいくつか含まれておりまして、これがなかなかおもしろかったのです。
もし織田信長が「本能寺の変」を生き延びたら?みたいなヤツ。
このような「IF物」が成立するのは、「実際はそうならなかったから」に他なりません。
だからこそ、「もしそうだったらどうなっていただろう?」と想像を広げることができます。
やらない後悔が続くのも同じ。
実行せず結果が確定していないからこそ、「今よりも良くなっていたかもしれない」と想像し続けることができるのです。
自分にとって意味が大きいほど後悔が残りやすい
とはいえ、どんなものでも後悔が残るわけではありません。
10年前の今日、本当はカレーが食べたかったけど面倒だったから妥協して卵かけご飯にした。未だに後悔している。
みたいなことは、よっぽどの事情がない限り起こり得ないでしょう。
一方で「子供の頃からの夢を諦めて公務員になった」など、自分の人生にとって大きな意味を持つ後悔は、やはり心に残りやすいです。
後から考えて「人生の転機だった」と思えるような内容も同様です。
意味が大きいからこそ「IF」が気になるし、後悔も大きくなる。
実行してうまく行かなかったのであれば、きっぱりと諦めて方向転換もできます。
しかし実行していなければ、うまく行ったかどうかはわからず、「IF」はどこまでも膨れ上がります。
その結果として、後悔が残り続けるというわけです。
「ツァイガルニク効果」によって後悔が残りやすい、という説もある
また人間が共通して持つ心理的な特徴として、「やりかけ(中途半端)なものは記憶に残りやすい」という傾向があります。
これは「ツァイガルニク効果」と呼ばれる心理現象で、テレビ番組やCMなどにも積極的に活用されています。
つづきはWebで!!
他にも「この間ヤバいことがあってさぁ~……やっぱいいや」みたいに、話を途中で切り上げられると無性に気になる、という現象も「ツァイガルニク効果」だと思われます。
(ぼくはそれほど気にならない性質なので、個人差はあるかと思います)
なお素人意見ですが、個人的には「ツァイガルニク効果」と後悔の話はちょっと違うんじゃないか、と思っています。
けれど改めて確認してみると、結びつけて説明されているケースが見受けられたので、参考程度に触れてみました。
なんでもかんでも「やればいい」ってもんじゃない
さんざん「やらないで後悔するのはヤバい」みたいなことを伝えてきましたが。
ぼくは別に「迷ったなら、とりあえずやっとけば間違いない」と言いたいわけではありません。
なぜなら世の中には「やらないほうがいい」ことや、「やって後悔する」こともあるからです。
世の中には「やって後悔」することもある
もう何十年も前の話です。
ぼくは人生の中で2回ほど、友人との約束をすっぽかした(ダブルブッキングした)経験があります。
2回ともめちゃくちゃ後悔したので、すっぽかしだけは絶対に避けるようになりました。
これは、ぼくの中での代表的な「やって後悔したこと」です。
今でもたまに思い出すくらいには後悔してる。
他にも、小さいことなら思い起こせばいくらでも出てきます。
みなさんも、やって後悔したことありませんか?
思い入れがなければスルーしても良い
片道2時間の学校については、入学してから激しく後悔しました。
卒業した後も3年くらいは後悔していました。
毎日往復で4時間も無駄にするとか、どう考えても狂気の沙汰としか思えません。
4時間あれば、いろんなことができるのに。
あのころのワイは何を考えていたんや……。
この話で良くないのは、どうしてもその学校に行きたかったわけではない、という点。
世間体やしがらみ、怠け心などの様々な要因で、このような後悔が生まれる行動(選択)をしてしまったわけです。
深い思い入れがない事柄についても、本当に実行すべきかどうか事前に考えてみるべきでしょう。
時と場合によっては、スルーすることも必要なのです。
この他、モラルに欠く行動、犯罪、他人を傷つける・悲しませるだけの行動などは、迷ったとしてもやるべきではありません。
当然の話だけど、念のためな!
自分の心と向き合わなければ正確な判断はできない
もしかしたら、後悔が残らないために行動すべき事柄と、行動すべきではない事柄、どのように区別すればいいのか困っている方がいるかもしれません。
なので、何を基準に「やって後悔するほうがいい」と考えるべきかについて、少しだけ説明しておこうと思います。
見出しに書いてしまった通り、答えは自分の心と向き合うことで得られます。
哲学っぽい。
たとえば宗教嫌いのAさんが、大好きな恋人から怪しい宗教に誘われたとしましょう。
誘いを断ると、恋人に嫌われてしまうかもしれません。
しかし恋人が誘ってくる宗教は(Aさん的には)ヤバそうに見えて、絶対に関わり合いたくない。
ここで「恋人に嫌われたくない」という恐怖心に負けてしまうと、Aさんは面倒なことになります。
もともと宗教を嫌っているAさんが「絶対に関わり合いたくない」と考えている宗教に、場合によっては入信しなければならなくなるからです。
これは間違いなく、やって後悔する例だと言えるでしょう。
一方で「長年の夢だった職業につけるチャンス」みたいなものは、ダメモトでチャレンジしておいたほうが後悔しにくくなります。
なぜなら「長年の夢」を叶えられるかどうかは、人生において大きな意味がある上に、間違いなく当人の望みであるからです。
「夢を叶えてやる代わりに悪事を働け」みたいなのは論外な。
夢を実現させたいという思いを抑え込んでしまうと、それこそ一生後悔するかもしれません。
やるべきか、やらざるべきかを考える際には、自分の本心を基準にすることをオススメします。
おまけ:後悔を避けるコツ
大きな後悔を避けるためには、「どんなことに後悔しがちなのか」を知っておく必要があります。
普段から、以下の点に注意しておくと良いでしょう。
表現は悪いですが、思考停止して脊髄反射的な行動を繰り返していると、後悔は量産されます。
それを避けるためには、自分の心と向き合い、考え、失敗を学習することが大切です。
イマイチ難しく感じる場合には、以下の本を参考にすると良いでしょう。
考えることの大切さや、考える習慣を作るヒントが学べるで!
後悔が残り続けそうな事柄には全力でチャレンジしよう
これにて「やらない後悔がヤバい理由」、終了でございます。
お付き合いくださり、ありがとうございました。
最後にもう1度、ポイントをおさらいしてお終いにしましょう。
「やって後悔」と「やらないで後悔」、後悔という意味ではどちらも同じです。
しかし人が死ぬ前にもっとも後悔することは「挑戦しなかったこと」だと言われているのも、また事実。
米誌『Emotion』に掲載された「The Ideal Road Not Taken」の筆頭筆者で心理学者のTom Gilovich氏によると、私たちがを最も苦しめる後悔は、「理想の自己」として生きることができなかった後悔なのだそうです。
ライフハッカー [日本版]「死ぬ前に人が最も後悔するのは「挑戦しなかったこと」」
「理想の自己」とは、なりたかった自分。
夢を叶えた、あるいは叶えるために努力して成長した自分を指します(理想に近づくだけでも満足度は高まるそうです)。
つまり「理想の自分を実現するために行動しなかった」という後悔が、もっとも人間を苦しめるということです。
そのような後悔をできるだけ生み出さないためにも、やるべきこと、やるべきでないことの判断をしっかり行い、積極的にチャレンジする勇気を身に着けたいものです。
さんぜん偉そうに語ってきたが、この記事はぼく自身への戒めでもある。
お互い気をつけましょう!
ーおしまいー